演劇企画団体 テラ・アーツ・ファクトリー


林英樹の演劇徒然草


最近は書き込みもあいだが空いてしまってますが、ご容赦を・・・



〜近年の活動〜

「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」プロデュース
 (主催:文化庁、国際演劇協会(ITI)日本センター、共催:東京芸術劇場)


「世界最前線の演劇」 企画コーディネイト
彩の国さいたま芸術劇場主催


新曜社より出版
『街に出る劇場』(石黒広昭編) 共著
 
ひつじ書房より2019年9月刊行責任編集、共著
「紛争地域から生まれた演劇」
 気鋭の演出家、翻訳家、評論家、研究者による執筆陣、戯曲3本掲載。



林英樹 活動アーカイブ
  ツイート facebook

プロフィール



2020年02月27日
首相の「要請」で松竹や東宝、ホリプロなどの大手や公立劇場の公演が次々に中止となってい る。


かつて公演中止を経験している。だから、どれだけそれが主催者に深刻なダメージを与えるか知 っている。特に主催が個人や小さな劇団だと潰れる。記憶が甦って来て息が苦しくなる。

2020年02月20日
子供の時の写真アルバムを作りました。

2020年02月19日
2020年はいろいろと人生の区切りとなる年だと考えてきた。勤め人はセカンドライフとか考える のだろうが、勤め人ではない小生はワンライフ、生涯現役路線。で、何の現役かというと「修行」。

年取ったら「出家」しようというのは比較的若いころから真剣に考えていた。最近では地方の多く の地域で人口減少により寺の存続が難しくなっている。しかし、まだコミュニティにとってお寺は必 要。金にはならない。生活費は年金なり蓄えなどでカバーする完全なボランティ坊主。これは面白 い。本来の僧侶の姿ではないか? 近頃は会社を終えた人が修行して住職になるという話も出 ている。人が少なくなった山あいの集落とかで跡継ぎの居なくなったお寺の住職もあり、などと考 える。


が、もう少し東京にいよう、演劇に関わろうと今は考えている。で、大きな挑戦をしてみたいと決意 した。が、どうなるかは相手次第なので今は首を洗って相手の答えを待っている状態。心は無に 近い。何も先のことを考えていない。なるようになる、なるようにしかならない。これは人生の最終 コースにさしかかってこれまでの人生を振り返ると、ターニングポイントのところではいくらもがい ていも必ずしも自分の意志通りにはなっていない、あらゆる状況の中で、関係性の中で落ち着く ところに落ち着いている。だから、自力で、という考えもあるが、必ずしも自力だけではどうにもな らない。就活の会社選びと同じだ。いくらこちらが望んでも採用されないことにはどうにもならな い。もちろん他人頼みではなく、自力でやれることはやるが、あとは委ねるしかない、と思うのだ。


というわけで、今年はどうなるか、いや、これから数年どうなるか、もうじき答えが出るが、それま では全くマッサラサラ。こういうのも面白きかな人生。

2019年09月11日
ひつじ書房より今月、やっと「紛争地域から生まれた演劇」刊行。
昨年の1月に原稿は脱稿。しかし、その後、編集作業に長い時間を要した。

「紛争地域から生まれた演劇」は10年間続き、その間、多くの人が参加。その集団の集大成とも 言えるが、同企画は今年も続くので、ワーク・イン・プログレスのドキュメントでもある。

数年前からテラ以外の活動から徐々に手を引き、今年あたりを節目にしてテラで続けてきた探究 活動をより深化させたいと考えていたが、節目はもう少し先に延びそうだ。

2019年02月25日
「紛争地域から生まれた演劇10」のレポートを書きました。(ITIニュース2019)

2018年10月01日
舞台芸術専門誌「 artissue 」 11号(2018年9月発行)に「当事者と非当事者のあいだを巡る試み」 という論稿を書きました。
プロデューサーを務めています、国際演劇協会(ITI)日本センターの「紛争地域から生まれた演 劇」シリーズと、これと連動して本年よりスタートしました彩の国さいたま芸術劇場による「世界最 前線の演劇」シリーズに関するコメントをしております。

2018年07月11日
今年の「紛争地域から生まれた演劇10」の実行準備に入る。第二段階である。第一段階は作品 を探す。選ぶ。申請する。これは昨年後半。ということは来年の作品を夏の間に見つけなければ ならない。つまり来年の第一段階と今年の第二段階を同時平行でやる、ということになる。

一番大変なのは翻訳だろう。語学が出来ますでは文芸作品の翻訳は出来ない。文化コンテクス トから政治背景、その国の歴史からスラングまで把握している必要がある。こなれた日本語にす べきかあえて外国のものである、そういう人工的な劇言語、異質感ありか、自然だからいいという ものでもない。


来年の「紛争」作品については実は候補が多すぎて困っている。一つ一つの調査には時間が掛 かる。戯曲が入手出来るものは入手して精査するが翻訳に掛けられるのは決定後ゆえ原文を精 査。ものによっては一月掛かる。大変な作業となる。だいたいは勘で今回はこれかな、と(笑) こ れがまただいたいヒットする。

英仏だと辞書があれば何とかなるが、たとえばアラビア語。『ハイル・ターイハ』(シリア北部地方 方言)はまずアラブの友人に内容を英語でのやり取りで確認。で、かなりの手応えを得て、外大 の知人の先生に翻訳の可能性を打診すると方言が強過ぎて英語版と照応させないと翻訳不可と 言われた。

しかし英語版などあるわけはない。ヨーロッパのフェス用に作られた西洋人が興味を持つ「オリエ ンタリズム」(日本の作品も欧米で受けるにはこれに乗るしかない)などとは掛け離れた、むしろ 逆。アラブの人に向けたアラブの人が喪失しつつある世界を描く作品。翻訳の中山さんは三年を 費やして日本語にした。

『ハイル・ターイハ』(昨年の「紛争9」)は演出家に日本語の台本が渡るまでに三年、それから演 出プランを立て上演が三ヶ月、という時間配分。で、そこからは演出家の腕の見せ処。演出は親 しい人に頼むことは避ける。この作品に日本で一番合致するのは誰?という線で探す、推薦して もらう。

なお、『ハイル・ターイハ』はアラブの友人からはアラブの人間でも上演は困難、まして日本人なら ば絶対不可能と太鼓判を押された。ので、かなりな冒険であった。が、それを乗り越え演出家と 俳優は奮闘、拍手、の一言。こういう上演者の並々ならぬ努力の蓄積が「紛争」を支えてきた。感 謝。

2018年07月07日
「紛争地域から生まれた演劇」
はいろんな意味で「骨」の折れる企画である。(今はそれ程でもない。始めた頃)上演実施自体は 規模は小さくとも興行主として何度も何度もやって来て他に取り柄はないがそれは唯一の「正業」 でしょと言うものだからお手のものと言いたい。難しかったのは活動「理念」形成。良い事やって る式無分別自画自賛はさすがに恥ずかしくて出来ない。そこまで厚顔になれない。「紛争」という 言葉で「外部」化(オレたちにゃあカンケーねえや)される。或いは「当事者でもないのにどのつら 下げてもの言えるのか?」という慎み深さから来る罵倒・叱責。何度も何度もこういう言葉を突き つけられてきたが、これらの言い分は極めてまっとうなことだ。この「まっとう」な節度をどうやって 食いちぎることが出きるか。何故なら演劇は「まっとう」ではないからこそ言説(秩序だった言葉。 ポリティカルコレクトネス含む。知の正当性、党派性)から逃れ、アプローチしずらい領域に踏み 込める可能性/不可能性の二項対立の隙間に入り込む、越境できるメディアだからだと思うの だ。そこに説得力を持たせる言葉がこちらに常に要求される。企画主体が常に問われる。そこに 「骨」が折れたが何とか「骨」は繋げた。

2018年07月05日
彩の国さいたま芸術劇場で上演された『ジハード』は連日、超満員。スタンディングオベーションと 画期的な大成功。2016年「紛争地域から生まれた演劇8」で取り上げたことから始まった今回の 公演、新企画(「世界最前線の演劇」シリーズ)。そのプロデューサーという一番責任の重い立ち 位置にいて始まるまで本当に気を病んでしまった。しばらく癒しの時間。。。

SNS・ツイートから一部引用掲載⇒
『ジハード―DJjihad―』

2018年07月04日
わ、素晴らしい!NHKのサイトで昨夜放送された『ジハード』特集番組が見られます!
http://www6.nhk.or.jp/kokusaihoudou/bs22/lounge/index.html?i=180703

2018年04月21日
『最後の炎』(デーアー・ローアー作)

ハイナー・ミュラーの教え子でもあるデーア・ローアーが5月に来日するという。現代ドイツ演劇の 先頭に立つ劇作家の一人である。立教大学での 公開講演会に一緒に登壇することになり、振り 返りのため以前、演出したことのある彼女の作になる『最後の炎』の稽古場日誌を読み返してみ た。

ローアーの作品、中でも『最後の炎』は傑出した作品。ポストドラマの後に出てきたポスト「ポストド ラマ」とでも言っていいか。深い物語性を湛えた作品である。

『最後の炎』
突然の事故で我が子を喪った若い母親。偶然、事故を目撃した紛争地域から帰還の元兵士は 心に深い傷を負っていた。二人の決して交わらない愛と憎しみが偶然の出会いから共振する。ど んなに近くにいても決して人は他者の痛みを分かち合うことは出来ない、のか?分かち合いたく ても分かち合えない二人の絶望的な愛憎が激しくぶつかる。。ひりひりと焼き付くような世界。


この作品は2012年2月に上演したが、アプローチを巡って思考した時期が2011年、東日本大震 災直後と重なり、ドイツの話としてではなく日本で今(2011年当時)起きていることとどのように繋 がるのか、を必死で探っていた。それまで20代女性メンバー10名とチームを作り、誰か他人の物 語ではなく自分たちの物語を創ろうと「集団創作」に取り組んでいた直後であり、また私自身が 「紛争地域から生まれた演劇」を担当するようになって早々でもあり、これらが重なりつつひたす ら探る作業であった。

<「他者の痛み」を分かち合うことは可能か?>

『最後の炎』は、テクストの強度、完成度が極めて高い作品である。ミュラーの弟子に相応しくト書 きのような誰が話しているか指示のない文章が半分を占める。いきなり詩的な文体に変わったり する。なにより文体に惹かれた。ドイツのイメージ、固さ、理屈っぽさがなく読みづらいが読み込 むと次第にからだに馴染んでくる奇妙な人工言語。まるで岸田理生さんの劇言語を思わせた。

ローアーの奏でる言葉に惹かれながら震災からの一年の時間と重なりあい、自分たちの抱えて いた課題とも重なり、未知の作家との出会いはスリリングなほど不安定な緊張感があった。同時 に演劇上演の意味も考えさせられた。今だったら、どうなるのだろうか。

2011年から7年が経った。
 当時の演出メモ(稽古場日誌)→
http://terra.huruike.com/page228.html

『最後の炎』舞台写真→
http://forest1.nobody.jp/page074.html

2018年04月18日
日暮里で「ハムレット・マシーン」を観る。
(「ハムレット・マシーン・フェスティバル」〜7度、風触異人街、主催:die pratze、共催: d-倉庫、フ ェスは2018年4月4日〜22日)

人間の解放をめざした共産主義革命。社会主義体制の中で「私」はもはや何処にもない。機械 の一部、機構の端末機でしかない人間、夢の後の廃墟。廃墟の中で自らの言葉さえ奪われた詩 人の禁じられた叫び。

ワイマール体制、ナチス政権、そしてソ連のすぐ隣での社会主義国家を経験し、自ら言葉を紡ぎ 出すことさえ自由にならなかった劇作家は言葉を使って真意を隠蔽する表現を使う。「私」の表現 を作品化することを禁じられなお劇作家として生きて行かざるを得ない。その苦渋から生まれた 言葉たち。

 しかし隠蔽は不完全である。それは詩人が意図的に仕掛けたものだ。誰かがこの暗号を受け止 めて欲しい、国の外で。厳しい東西冷戦下の東側国家で、1977年に発せられた信号を現在の日 本で我々はどのように受信可能か。不可能性の中で微かな音の裂け目を見つけるしかない、か も。

〈私はハイナー・ミュラーではない〉
私たちはヨーロッパを廃墟にした戦前戦中戦後の過酷な体制の中を生き抜いた当事者になるこ とは出来ない。他者の痛みを安易に分かち合うことなども出来ない。彼の代わりに言葉を発する ことは虚偽である。不誠実である。不可能、である。

だから、私たちが出来るのは私たちがそこに「私」として立つこと、だろう。彼の代理は出来ない。 する必要もない。舞台の俳優が俳優としての自己を消去するアプローチはありだ。演じようとする 欲望の滅却で私が消え、可能性の「私」が立ち現れてくる如く。私はミュラーでありミュラーではな い、と。

2018年03月15日
実行委員をしている日本演出者協会の「日本の近代戯曲研修セミナー〜秋元松代を読む」
『常陸坊海尊』、いよいよドラマリーディング発表に向けて出演者決定。 
研修参加者のほか中村哮夫先生をはじめとした実行委員の演出家(小生も出演)並びにゲスト 出演で西山水木さん。シンポジウムも同時開催。


【第一幕、第二幕】 昭和20年、小学校5年生の啓太、親や家族と引き離され東北に疎開。東京 大空襲で彼の一家は全滅した。疎開先で行方不明になった少年。
【第三幕】 昭和36年、日本は高度成長期、かつての友人が疎開先を訪ね変わり果てた敬太と 再会する。東北で「神隠し」にあったと思われた啓太は「イタコ」のおばばとその孫娘雪乃によっ て、奈落の底に突き落とされ、「生き地獄」にあった。苦悶の果てに啓太は新たな海尊に変貌す る。


啓太を演じることになった。
この役は人が孤独と絶望の果てに底なしの地獄に落ちる役、そうして初めて新たな海尊として生 まれ変わる(転生する)。実質稽古は三回でトップギヤ、フルテンションに持っていかなければ表 現しきれない。それを言葉(台詞)と声で如何に立ち現すことが出来るか?これまで長年積み重 ねてきた修練がいきなり試されることになった。演技に関しては<常在戦場>、いつでも実践OK な、まるで自衛隊訓練みたいなことをやってきたので、特に慌てることもない。人間、やれることし かやれないのだ。

が、第三幕の「生き地獄」の修羅はそのまま行けそうだが、第一幕、第二幕の小学校5年生役 は、ちとギャップが。。。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本の近代戯曲研修セミナーin東京A
【リーディング&シンポジウムゲスト決定!
 3月17日18日 秋元松代『常陸坊海尊』を読む!】
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
報告=丸尾聡
常陸坊海尊ドラマリーディングに、ゲストとして西山水木が出演。おばばを演じる。
また、シンポジウムには、17日はその西山水木、18日は秋元松代作品を最も多くプロデュースし た中根公夫氏、「劇作家 秋元松代荒地にひとり火を燃やす」の著者、山本健一氏を迎え、両日 とも実行委員会の中村哮夫、演出の川口典成が参加、丸尾聡が司会を努めます。
  
○常陸坊海尊ドラマリーディング&シンポジウム 来場者受付中
  
3月17日(土)
15:00 リーディング 演出:川口典成
出演:林英樹 中村哮夫 西山水木(ゲスト出演) 小林拓生 山崎沙織 丸尾聡  松森望宏  蔵人 才目謙二 いしざわみな 沢柳廸子 薗内茜 篠崎旗江 大森匂子 山崎徳子 岩崎聡子  伊藤安那 黒澤世莉
  
17:00(予定) シンポジウム「秋元松代を語る@」
シンポジウム ゲスト:西山水木/中村哮夫 川口典成
  
18日(日)
15:00 リーディング 演出:川口典成
出演:同上。  
17:00(予定) シンポジウム「秋元松代を語るU」
ゲスト:中根公夫 山本健一/中村哮夫 川口典成
  
◯会場:梅ヶ丘BOX
 
料金:1,500円
※演出者協会会員は無料。
  
【お申し込み・お問い合わせ】
携 帯 090-6513-7904(担当:小林)
専用メールアドレス: kindaigikyoku@yahoo.co.jp
※お申込みの際はお名前、連絡先(電話、メール)、年齢、所属をお知らせください。
  
詳細は、日本演出者協会の公式HPへ。
http://jda.jp/seminar03.html

2018年01月27日
昨年12月の「紛争地域から生まれた演劇9」の劇評掲載

リーディングということの本質と紛争地域の演劇の関係について論究している点がなかなか眼差 しの鋭さを感じさせました。以下、一部引用〜
「そして衣装や美術の完成された舞台劇ではなく朗読劇であることが、表現の抽象度をより高め ていく。そこで起こるのは、紛争により人生を翻弄される最中にある現役劇作家の作品世界と、 現代日本の日常を生きる役者たちの生身との衝突が呼び起こす不協和音であり葛藤であり、交 感だ。」(藤本徹)

2018年01月22日
昨年、ITIの「国際演劇年鑑2017」用に書いた文章を載せます。

「紛争地域から生まれた演劇シリーズ8」で紹介の『ジハード』(ベルギー)、『白いウサギ、赤いウ サギ』について書いてます。

海外戯曲のリーディングと戯曲集発行による紹介企画。文化庁主催かつその「次代の文化を創 造する新進芸術家育成事業」の委託事業かつ調査研究事業「国際演劇年鑑」特集企画、かつ東 京芸術劇場のギャラリーを使った展示企画、とたくさんのフレームがつく、つまりそれだけ制約と 条件がある企画なのですが、優秀なブレーンがいて優秀なスタッフがいて、そのおかげで評判も 上々、ゆっくり静かに注目されてきている企画、になってます。

今年6月に『ジハード』、11月に『第三世代』が彩の国さいたま芸術劇場で「世界最前線の演劇」シ リーズとして舞台公演されることがきっかけとなり、本企画で紹介された海外戯曲の上演機会が 今後増えることを大いに期待し関心を持っていただけたら、ということで。

「国際演劇年鑑2017」
紛争地域から生まれた演劇8レポートより
「危機の時代に立ち向かう演劇」by林英樹

2018年01月22日
国際演劇協会(ITI)でプロデューサーをしてきた「紛争地域から生まれた演劇」シリーズ。海外の 戯曲をリーディングや戯曲集刊行で紹介する企画だが、舞台化すると面白い戯曲も沢山ある。
そんなわけで昨年から一年間ほど彩の国さいたま芸術劇場と準備の協議を重ねてきたが、つい に舞台化決定、情報公開。


さいたまネクスト・シアターO(ゼロ)
世界最前線の演劇1『ジハード ―Djihad― 』
作:イスマエル・サイディ、演出:瀬戸山美咲

さいたまネクスト・シアターが新たな取り組みをスタート!
 「世界最前線の演劇」をお届けします。
2018年6月23日(土)〜7月1日(日)
http://saf.or.jp/arthall/stages/detail/4875?_fsi=lIHx51wL


『ジハード』は自力で見つけ出した作品、そして紹介までこぎつけた。
舞台化されるのは実に感慨深い。

更にこの企画の第二弾は『第三世代』(2018年11月)
台本・構成:ヤエル・ロネン、演出:中津留章仁

この作品は実現するまでとてつもない苦労があった。
裏の話はまだ出せないのでただ苦労としか言えないが、協会が大きく変化した時期、それから日 本とイスラエルが国交樹立60周年とやら。それはめでたいが、当時の状況でこの企画の実現は かなり要注意だった。何せイスラエル政府から助成打ち切りされた企画、パレスチナとの分断政 策をめざすイスラエル政府の意向対してかなり挑戦的な作品だったからだ。今ではドイツに渡り、 実力派として数々の賞を取り昨年は「ヨーロッパ賞」も受賞のヤエル・ロネン。すっかり世界的に 有名な演劇人に変貌、日本での彼女の作品の上演は事件である。

2017年12月14日
今年も今日から「紛争地域から生まれた演劇シリーズ9」を実施します。
主催:文化庁、国際演劇協会日本センター、共催:東京芸術劇場
http://iti-japan.or.jp/conflict/

2016年12月10日
日本演出者協会による国際演劇交流セミナー2016Eイギリス特集
 「社会の課題に向き合う演劇ワークショップ」 のリポートを書きました。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヤング・ヴィック劇場は地域社会に置き去りにされた人々を対象にすると講師の一人、シャロン・ カノリック氏。

東京芸術劇場シンフォニースペースで一週間に渡って開催された国際演劇交流セミナー「イギリ ス特集」in 東京、テーマは「社会の課題に向き合う演劇ワークショップ」。午後はワークショップ、 夜はレクチャーの日替わりメニュー、連日予想を超える人々が殺到、定員を遥かに超えた申し込 みにワークショップではお断りする人も続々。参加者も教育の側から演劇に関心を持つ人、演劇 の側から地域や教育の場に関わる人々、公共劇場で地域コミュニティとの連携を模索する人々 など実に多様。文部科学省によるコミュニケーション推進事業の一貫として学校教育の場でコミ ュニケーション能力、表現能力向上のため演劇を用いるという最近の動向とも関係しているのか もしれないし、公共劇場と地域コミュニティとの関係への関心もあるのかもしれない。しかし何より この「盛況ぶり」は企画をコーディネイトされた田室寿見子氏の熱意とこれまでの地道な活動の蓄 積が大きく反映したのではと思う。

事前にコーディネイターである田室氏から日本の演劇事情の説明を受けていたのかもしれない が、最初に日本とイギリスにおける「アウトリーチ」という言葉の意味の違いが講師から指摘され た。階級社会であるイギリスでは演劇はブルジョア階級、エリート、すかした(気取った)人たちの もの、少なくとも自分たちとは無縁と考える若者や中下層階級の人々が多いという。そのため舞 台に立つ俳優自身が劇場を出てこうした人々の元に行き、劇場に連れてくる。これが彼らの「ア ウトリーチ」の目的であるとの事。つまりオールド・ヴィック劇場、ヤング・ヴィック劇場に社会の中 で「置き去りにされた人々」、演劇は自分たちのものではないと思う人々を連れてくることが彼ら の「アウトリーチ」。一方、日本の場合は学校や企業、地域で演劇を活用してコミュニケーション能 力を高める、程度の認識?(ここら辺、私はよく分かっていません)。

イギリス、特にロンドンは多様な文化背景の人々が共存する社会。私も何度かロンドンに行って プロジェクトに参加したことがあるが、ある高校ではほぼ全員英語を話さない、話せない生徒たち だった。こうした多様性が彼らの活動の根本にあるのかもしれない。もう一人の講師であるスチュ ワート・メルトン氏によるワークショップメニューは「青少年や市民との創作ワークショップ〜ディバ イジング、ライティング・コラボレーション〜」、「特別支援教室の子どもたちとのワークショップ・フ ァシリテーション」、「移民・難民に向けた演劇ワークショップのアプローチについて」、「ストーリー テリング・パフォーマンス」、「アンサンブル・ムーブメント」。いずれも魅力的な内容だった。劇作 家、ドラマトゥルグでもあるメルトン氏はワークショップ参加者との作業の中から彼らの声を引き 出し創作しているという。

ちなみに「演劇教育(シアター・エデュケーション)」、「ドラマ教育(ドラマ・エデュケーション)」という 方法や概念は20世紀初頭のイギリスで主に教育の側から研究されてきたものである。しかし現 在は演劇と教育の関係自体が問題化されている。パウロ・フレイレ(Paulo Freire)の教育学の影 響により「評価」に還元される近代教育のあり方自体への変革要望が一方にあり、演劇の側から はリチャード・シェクナー(Richard Schechner)などによるパフォーマンス理論、演劇を特殊な空間 の中の閉じたものと限定せず、日常と演劇の関係性を複合的に捉えるという現代演劇史の背景 があり、この双方の接近により現在では「応用演劇(アプライド・ドラマ)」という用語が使用される ようになっている。

一週間のセミナーが終わった後、参加者がFB上にネットワークを作った。これから日本では劇 場と地域コミュニティティの関係、演劇と教育の関係、更に教育のあり方自体が問い返され、そ の中で演劇のあり方も変容していくのではないか。その変容の中でより演劇と社会が距離を縮 め、多くの演劇の「外」にいる人々を巻き込んだ形のもので発展していくのではないか(夢想で す)。そうあって欲しいし、このネットワークに参加する人々が次の動きを作って行く、そんなことを 想起させてくれるセミナーであった。

2016年11月15日
久しぶり、いつの間にかの半年ぶり。6月くらいからずうっと走り続けてきた。

7月の「アフガニスタン特集」、それが終わって9月、10月のテラ公演『三人姉妹』、終わってすぐ12 月「紛争地域から生まれた演劇8」準備や来年の助成申請。頭も心も余裕なく過ごしてきたが、1 0月早々から一か月半、企画の取り纏めに走りに走ってようやく今日、「紛争8」のチラシを手にし 一段落。本番まで一か月半、これからも気は抜けないが、来年は少なくとも春まではのんびり行 こうと思ってる。

じっくりと創作をやりたい。公演にならなくていい。親密な人、長く付き合ってきた仲間たちと手作 りで、観客はそんなにいなくていい、そういうのをやりたいと思ってる。

2016年06月24日
『白いウサギ 赤いウサギ』
東中野、吉岩氏の事務所にて12時、吉岩氏、後藤さん、林集合。会場準備。後藤さん、日本語台 本をコピーしてきてくれる。12時半、關さん出席。イギリスのEU離脱決定でその話題に集中。

2時、壱岐さん、吉原豊治氏、三輪えり花さん、かわはらゆなさん、中島香菜さん来場、2時15分 開始、3時30分終了。
出演者と劇の主題を巡って議論する。

2016年06月22日
ITI「紛争地域から生まれた演劇3」(2011)で演出をお願いしたことのある小川絵梨子さんが新国 立劇場の次期演劇部門の芸術監督に。早いなあ、何かと。

2016年05月14日
今日のツイートから
忘己利他、草の根に徹する、これは亡き実父(一緒に過ごしたのは一歳迄だが、成人してよく会 った)の言葉。戦前、大学で東洋哲学を学び戦後は静岡の元幕臣たちが困窮しながら切り開い た茶園の禅寺で生涯を過ごした人。教団本部の高い地位にあったがそれを捨て静岡の貧しい寺 の住職となった。


まあ、自分の為にならないことやると必ず破綻する。だから一見関係なさそうな事でもそれは自 分にとっても大切なこと、と出来るだけ自分を裏切らない、騙さないように(偽善にならないように) やってる。自分の為になることがもしかして他人にもプラスに?なれば私の幸せ、演劇やるとは そういうことだ。


ほんとそうだよな。単に員数揃えただけのシンポジウムとか委員会とか多すぎ。私もシンポジウ ムや会議などしばしば催す事があるが、自分が責任者の場合は本当に必要な人だけに呼び掛 けるよう努めている。ここら辺は合理主義で行きたい。

〈国を越え、ジャンルを越えた演劇〉の志〜「ボーイズ・ビ・アンビシャス」レベルの意味、演劇で海 外に出るのは言語の壁ゆえかなり困難な80年代、敢えて高い目標設定し挑戦〜まあ、周りから はアホかと言われたりしたが(笑)とにかくやった。プロジェクトの構想だけはまだ、ある。ボーイズ だし。

2016年05月12日
今日のツイートから
日韓演劇交流センターの運営委員会。法人化の話が中心に。その後、来年1月の韓国現代戯曲 ドラマリーディングに向けてあれやこれや、と話す。特に戯曲翻訳の難しさなど話題に。

7月アフガニスタン戯曲のリーディング演出をお願いした東京演劇アンサンブルのK家義徳さんと 打ち合わせ。ワークショップも講師が世界中飛び回って日本人が経験してないことをたくさん知っ てる人なので多くの人、特に世界の動きや演劇に関心ある若い人に参加してほしい、とか話した り。
来年の企画のことで海外の方とやり取りした。スゴく刺激的な舞台、youtubeでいきなり観られる とは便利になった。以前は映像データ確保するだけでもまず先方の連絡先調べて何して、で辿り 着くのも一苦労だったのに。我がテラもアップしたらとよく言われ、しないのもありよと答えてたが 考えよう。

一方、昨年から計画していた別の海外企画、契約書作成で英文文言などの細かなチェックのや り取りをしていたがようやく正式調印となった。ホッとする。第三国のプロデューサーが間に入って いて作品管理が厳格なため時間が掛かったのだ。三ヶ国間縦走、みたいな感覚。

2016年05月16日
静岡

ツイートから
静岡のあさ〜。明治になって困窮した幕臣たちが百姓たちが見向きもしなかった台地(水の問題 ゆえ)を開墾し茶畑に変えた。今では日本一の茶園地帯。そこで私は生まれたらしい(1歳までし かいなかったので記憶にない(笑))。これから近辺一人探検隊に。

昨日のレバノンの舞台のことを考えつつ〜東京で「芝居の中の芝居」の中に浸りきると感覚が麻 痺する。たまに「芝居の外にある芝居」に触れればいいと思うが東京には一色しかない。樣ざま な色合いがあると当人が思ってるだけで外から見れば一色だ。自分たちだけ気付いてない、井 の中の蛙。

生まれた土地を歩いてる。まずは大井川に掛かる木の橋、蓬莱橋。確かに越すに越されぬ大井 川。渡るのに10分以上掛かってる。橋の向こうは牧の原大茶園地帯、5000ヘクタールとか。



探検隊、道に迷ったが遠くまで来てしまった。芝居に間に合わないかもしれない。とにかく何とか 立つ脱出、人里にたどり着く(笑)

もう少しで「茶園に死す」になりかけた(苦) ま、バス停見つけて駅まで辿り着いた。そして静岡に 戻りこれからめでたく観劇。今日はレバノン出身、今や世界的な作家ムアマド・ワジディの作家自 ら演じる一人芝居、ですわ。




ワジディさんのパフォーマンス終了。これはもう絶句、形容しがたい、破壊的、すさまじい、日本で はもう数十年、ここまでぶちギレ舞台、なかったのではないかと思うほど。写真は静岡芸術劇場、 建物もスゴ。

劇場の外に昨日の「アリス、ナイトメアー」の女優兼作家さんいたのでフランス語で話しかけ自己 紹介はしたものの昨日の舞台感想、ああ、単語が思い出せない。昨日のアフタートークでアラビ ア語通訳してたW辺さんに間に入ってもらって舞台の感想を何とか伝えた。FB友達になってあと はFBで(笑)

新幹線、こだまとひかり、どっちにしようかと思ったが7分しか違わないというのでこだまにした。一 気よりちょっとずつ東京に近づくのがいい。旅の余韻もあるしね。のんびり行こうよ、人生。

名古屋「通勤」時代、主に平日に利用していたせいかまるでビジネスマンの護送列車に缶詰にさ れた感じでどうにも馴染めなかった新幹線だが、今回は快適な旅。連休の谷間か終わりで空い てたことも、あり、か。ビジネスマン殆どいなかったのが良かった(^-^)/

2016年05月06日
静岡へ

ツイートから
初めてのバスタ、久しぶりの東京脱出、超久しぶりの静岡SPAC。前に行ったときは近辺散策中 の夕暮れ時、忠さんがポツンとベンチに座っていて、しんみりと話しを交わした(笑) 18時開演だ から道中楽しみながらノンビリ行きます。

おお、バス快適、結構窮屈な新幹線の席よりリラックス出来るわ。何故すぐ高速に乗らないのか なと思ったら渋谷に立ち寄り。これで40分ロスでも3時間で静岡はグー。若者多いかと思いきや年 輩カップルとかいてこの位の距離だとバス旅がいいね。

静岡着、帰りは新幹線と思ったが東京駅からの乗り換えの鬱陶しさ考えるとバスで新宿直行が いいかな。にしても駅の観光案内所で舞台芸術公園行きのバスは何処から出ますかと聞いたら 知らなかった。市民レベルには浸透してないのかなあ。
静岡SPACにてレバノンから来日したサウサン・ブーハーレト(女性、20代かなあ)作・演出・出演 の『アリス、ナイトメアー』観る。そこにあること(そことは演劇であり生きているこの世界であり、そ の中で生きている「私」という現象、観客席にいる私自身)を再考させてくれる舞台、面白い。

レバノンの劇(いわゆる「ザ・お芝居」ではない。演者自身による小道具、断片的な言葉、アニメー ションのミックス)を観に東京から来る観客がなかなかいい。道中、素敵な若い女性たち数名と親 しく話した。レバノン一年滞在の人、学生時代にパレスチナ難民キャンプでボランティアした人と か。

失礼、レバノンのサウサンさんは1976年生まれとのこと。舞台ではスゴく若々しく見えました、アリ スだったせいか〜「役を演じてるわけではないけど極端な状況には置いてある」。なるほどそこに 彼女自身がいた、何者かとして。これぞスタが拒否した「ザ・お芝居」ではない舞台表現と俳優の 在り様。。

さてホテル一人でいてもつまんないから夜の静岡、繰り出す。結構賑やか、金曜の夜、連休の谷 間のせい?それなりに都会、少し垢抜け城下町の佇まい。名古屋とか栄除いて夜8時過ぎたらも う、闇だからなあ。あ、どっちも我が親や先祖と因縁深き地です。悪くは言えない。

2016年05月04日
<理想と現実>〜テラのめざすもの

テラは〈ヘテロピア〉を作ることを目的とする。
〈ヘテロピア〉とは異他なる場。
『三人姉妹』(チェーホフ)の姉妹らは〈美しい夢〉が
〈俗悪な現実〉の中に飲み込まれていく姿を映して哀しくも切ない。

若い時は夢を見る。
しかし生活がそれを色褪せたものにしていく。
〈夢〉を喪失から保護する場、それが〈ヘテロピア〉
〈ユートピア〉はトマス・モアから、何処にもない国の意味。
20世紀はその実験と挫折(共産主義=格差貧困、戦争のない世界)、
まさに何処にもなかった。

〈ヘテロピア〉は共同体を離れた境界線的地点を言う。
現実の枠の中にありながら日常とは断絶した場、テラはそれをめざす。


理想はしばしば過酷な現実の前に大きく挫折する。
理想を持った者は深い傷を受ける。
しかし理想のない政治や国や生活はどれ程の価値があるか。
その場その場を凌いでいる内に人生は終わりを迎える。未
来を夢見ることは現在を見ないことではない。

2016年05月04日
「スタニスラフスキイ・システムの形成」

今日も「スタニスラフスキイ・システムの形成」読み続ける。
かなり客観的なイギリス人による記述。
スタシステムは戦後から1950年代の日本の演劇界を熱狂的に席巻した。
そして消えた。
しかし何故熱狂したか、という理由はある。
何かを再発見したからだ。
単にアチャラカかぶれでもブームでもない。

スタシステムに「超課題」という用語があって、
これは演劇に限らずあらゆることに当てはまると思ってる。
〈企画のねらい〉、企業でもあらゆる企画はここから出発するが、
あるいはそれが曖昧だったりするが明確なビジョンや理想、哲学を持ったものはある。

本当にしたいことは何か、それを軸に考えること。

2016年05月01日
「スタニスラフスキイ・システムの形成」

今日は読書の一日。
学生の時に買った「スタニスラフスキイ・システムの形成」読み返す(600頁の大著)。
これ読み物としても面白いのだ。
スタニスラフスキイの先祖の話、幼少期、変遷また変遷の連続期、革命後。
スタニスラフスキイは時期でころころ変わるため翻弄されるが通して見ると変わらない芯が見えて くるのだ。

スタニスラフスキイはロマンチックな傾向があるからチェホフ劇が理解できなかった、
とこの書にはあるがお金持ちのボンボンだからやむを得ないだろう。
「真実の〜」とか言われると笑っちゃう人もいるが憧れもある。
極端から極端に走る傾向もあるがそこが演劇人を魅了した点でもある。
一途なんだな。

スタニスラフスキイは元来超ロマンチストだからドラマチックなこと、人物に憧れる。
19世紀ロマン主義から脱してない、ドラマ演劇系。
しかしチェホフはドラマの後、「アフタークライマックス」の劇、
チェホフ〜ベケット〜現代世界演劇の潮流へと続く。
逆行して読むと現在の立ってる位置が見えやすくなる。



<人の声>について
人の〈声〉は人の内面が露出する「装置」でもある。
一貫して俳優の〈声〉の鍛練に携わった人間には
それを意識して来なかった者より数十倍聞き分ける聴覚を持っている。
声が「薄い」と何を聞いても嘘に聞こえてくる。
呼吸筋、体幹の筋肉の強さが鍵なのだ。
一ヶ月で空手の黒帯無理同様に時間はかかる。

2016年04月30日
<劇場文化>

私が公演を行った幾つかの国では観客を集めるのは劇場の仕事、
出演者やカンパニーがチケット売ったり広報したりなんてことはあり得ない。
つまり劇場が中心、演劇とは劇場文化なのだ。
日本は貸し館基本、公立劇場が主催する公演のみ劇場が集客。
これではいつまで経っても演劇は広がらない。

何故かと言うと劇場が制作の中心であれば劇場は必死にスポンサーを探し
地域の観客を掘り起こし劇場が人々と繋がり足を運ぶように工夫し
内容ある企画を立てて市や県や州や国の公的資金を獲得し運営を確立させる。
本気になる。
日本は本気にならないで済む。
団も含めアーチスト側は消耗品。
公立劇場の場合は専属俳優を持つ。
カンパニーを丸ごと抱える場合もある。
俳優やカンパニーは芸術的素養を磨くことに専念すればいい。
集客や宣伝などは劇場に任せればよい。
舞台俳優は何故、舞台で食えないか、その原因を「問題化」し変えていくべき。
構造の問題です。

つまり劇場は病院や図書館や学校がまちやコミュニティや
都市に必要なものであるように必要なものという公共的存在、財産となる。
劇団や個人が頑張ったって土建業と同じように民間業者という位置にしかならない。
だから日本は芸術に対する助成でさえ他の業種への補助金と同じ扱い。

2016年04月26日
某専門学校で

長年教えている某専門学校の授業、
放送系の学校で教えるのはかれこれ30年。
〈声と身体〉にフォーカスした基本訓練は欠かさず入れる。
声のボリューム、語句の組み立て、呼吸、序破急、リズム。
何より声は身体に属する。
身体を通した声とことば、肉声大事。
最近「口先」系多いから余計必須です。

授業メニュー〜ドラマリーディング、古典から現代、
日本も海外も既にかなりのストック。
50作位関わってるからこれからはその経験活かしたい。
これは新しいメニュー。
台本持っての立ち稽古まで進めたい。
今回は古典名作使用。そ
してエチュードから即興を重ね、最後は小作品の創作発表へ。


戻る
次へ