異なるものとの交流

林 英樹 2015年1月10日


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〜演劇の不可能性との対峙、沈黙を超えるために〜

昨年12月のITI(国際演劇協会)日本センター企画制作「紛争地域から生まれた演劇6」に関し
て少し考えたことを忘れぬうちメモ(ノート)しておきます。

『燃えるスタアのバラッド』(ニル・パルディ作、UK/イスラエル)のオリジナル舞台はロンドンを
拠点にする多国籍集団によってフィジカルシアターとして集団創作で作られ、作った人間が演
じ表現し語ることを前提とされた作品である。その言葉(テクスト)だけを使い、日本語で日本人
演出家が日本人俳優によってリーディングするということはテクストの意味成立に不可欠なコン
テクスト(文脈)の相違だけでなく、その表現方法に於いても大きな乖離が生じる。それを前提
にしまた念頭に置いて演出を考える必要がある、ということを私たちに要求したものであった。
更に「リーディング」という表現方法の不可能性や限界性を顕在化させもする。これらの「壁」を
予め知った上でそれでもやるかやらないかの判断は、今回の「紛争地域から生まれた演劇」
の作品選択やシンポジウムも含めたテーマの原案、グラウンドデザインをする側に十分なリサ
ーチの時間と思考探求作業を求めることになった。

実際にテクスト(英文台本)を入手してからこれを「紛争地域から生まれた演劇6」でやろうと決
定するまでには原語での読み込みにかなりの時間を要することになった。複雑な構造を持った
作品であると同時に複雑な問題、つまりイスラエル人としてイギリスで活動し、かつユダヤ人で
あるという母国ではそれほど意識しなかった民族問題とそれにまつわる歴史を背負い、また現
在形で行われているイスラエル政府の占領政策による加害者の立場の引き受けとホロコース
トを頂点とするヨーロッパでの反ユダヤ主義による被害者としてのアイデンティティのねじれと
歪みの中で分裂する自己をどのように表わすか、が重要な作品の柱となった作品である。分
裂の中に置かれたニル・パルディ自身の内面の問題が深く関与した劇、つまり「わたしの物
語」を如何に「私たちの物語」に転換しうるか、そのぎりぎりのきわどさを持った作品であり、そ
れが成立するには発語だけでなく沈黙との対峙を発語者に要求するものとも言える。だから言
葉だけでの読み込みに留まらず言葉に浮き上がっていない部分に想像を掘り下げての作業
が必要となったのである。

ドラアグクイーンという差別される側の立場が語り手に設定され、それは単に「役」という位置
づけに限定されず、誰が話者になるかという問題と深く関わる。わかりずらければ戦争に関す
る日本人の立場に置きかえればよい。戦争の加害者としてそこに立ち、そこには被害者の家
族、たとえば中国やフィリピンで日本軍の残虐行為を家族が受けた人々がいたとしたらどうで
あろう。被害者の立場で発語する場合とは様相を異にする。より複雑な構造、それは発語者
のアイデンティティ自体を深く理解することを要し、その背景の理解も要求されてくるものであ
る。一方で「これは極めてパーソナルな作品」と繰り返し強調していた作者のニル・パルディ氏
自身も日本人演出家による日本語での上演に当初から違和感を抱いたようで、稽古過程に立
ち会うことを強く希望していた。日本人がどこまで彼の「パーソナル」な部分を理解できるの
か?当初は当然のことだが、懐疑的であったと思われる。その懐疑を乗り越えるのに結局、来
て観てもらって自分たちとは全く違うものと首をかしげ、しかし徐々に違いの上にもこれはこれ
で意義があると納得するまで春から接触が始まり12月まで掛かったと言える。単一民族という
思い込みが支配的な日本人によって上演されることはもともと多国籍メンバーによって作られ
たものとはアプローチが自ずと異なるであろう。また、パレスチナ占領の当事者性が強く関与し
ている作品でもある。それを「他人事」でしかない日本人がやることにより、演劇(役に感情移
入し、同化さえすれば何の役でもやれる、芝居が成立するという幻想)の無責任性の再検討と
演劇自体が持つ不可能性を認識させたのではないだろうか?もちろん、不可能だからやれな
いのではなく、不可能性を前提にしてのアプローチがあるはず。そこをわたしたちに突きつけ
た作品だったと思う。
 
 
加害者の側に立つ自分、物語の中でアラブの少年を誤射した自分に「気にするな、ただの少
年だ」と同僚役から声を掛けられた瞬間、彼は演技を停止し、かつらを取って演技以前の自分
に戻り物語=虚構としての演劇の中から出て劇の中断を告げる。決して「宙吊り」ではない。
語ることの不可能性、演劇=フィクションという表現形式の不可能性に突き当たる。いや、彼ら
の演劇が言語によって作られ物語られる演劇の虚構性という枠組とは別の場所に立つことを
告げ、自らの加害性=恥部を曝し、観客の判断や思考を促すのである。つまり劇中で完結し
ない演劇、なのだ。
 
 
「異文化交流」は容易ではない。日本舞踊の理解は日本人でも容易ではない。しかし、容易で
はないから始めるのだ。まずは接触から、たとえ表面からでも。その意味で言葉から入るのは
表面から入る入り方ともいえる。言葉の奥には言葉には出来ない沈黙があり、その沈黙は差
別を受ける側、弱い立場にある者には常に強いられる沈黙の重さを持つ。その沈黙まで深め
ての共有の意志と姿勢の中で初めて溝は浅くなり、乖離の幅は縮まってくる。創造主体の当事
者性に寄り添う態度を持つことで「交流」の、あるいは共感、呼応関係の扉は開かれてくると言
える。演劇における交流とはこうしたプロセスを踏まえる中で容易ではないが無理ではない、と
いうことから一歩を踏み出すべきである。


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